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悲しいニュースが飛び込んできました!

大相撲の元関脇麒麟児で、名力士だった垂澤和春さんが3月1日に亡くなったことが4月13日、日本相撲協会の発表で明らかになりました。

垂澤和春さんはどのような方だったのか、死因や家族、顔画像などについて調査してみました。

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元関脇麒麟児・垂澤和春さん逝去

日本相撲協会が4月13日に、大相撲の元関脇麒麟児・垂澤和春さん(享年67歳)が3月1日に亡くなったことを発表しました。

なお、葬儀・告別式は家族葬で執り行われたということです。

元関脇麒麟児・垂澤和春さんの死因は?

3月1日に亡くなった元関脇麒麟児・垂澤和春さんの死因は多臓器不全です。

多臓器不全とは、生命維持に欠かせない肺や腎臓、脳などの複数の重要臓器のはたらきが著しく低下した状態のことを指します。

多臓器不全は、敗血症、重度のやけどや外傷、大量出血などが原因で発症するということで、死因に「多臓器不全」と記載されている場合、肝不全、腎不全、呼吸不全、心不全などを合併していることが多いようです。

垂澤和春さんの場合、糖尿病と腎臓を患っていたということで、2015年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かったということです。

元関脇麒麟児・垂澤和春さんプロフィール

  • 名前:垂澤 和春(たるさわ かずはる)
  • 四股名:麒麟児 和春(きりんじ かずはる)
  • 生年月日:1953年3月9日
  • 出身地:千葉県東葛飾郡(現:柏市)
  • 身長:182cm
  • 体重:146kg
  • 所属部屋:二所ノ関部屋
  • 得意技:突っ張り、押し、左四つ、寄り
  • 最高位:東関脇

元関脇麒麟児・垂澤和春さんの経歴について

元関脇麒麟児・垂澤和春さんは、小学2年生から柔道を行っていて、中学2年生の時に力士を志して両国へ出てきたのですが、立浪部屋に断られてしまい、時津風部屋では時津風が不在で、入門を認めてくれた二所ノ関部屋に入門することになりました。

1967年5月場所で初土俵を踏み、1973年の9月場所と11月場所、幕下で2場所連続全勝優勝で十両に昇進し、「麒麟児」に改名しました。

その後、思い切りのいい突っ張りで番付を上げて関脇まで昇進し、その後も長く幕内で土俵を務めました。(幕内在位は84場所で580勝644敗34休)

また、同じタイプの富士櫻栄守との取組は人気で、1975年5月場所の8日目の天覧相撲では、富士櫻栄守と108発の猛烈な突っ張り合いを見せ、この取組は今も名勝負として語り継がれています

垂澤和春さんは、1975年~1984年頃に活躍した1953年生まれの力士「花のニッパチ組」の1人で、華のある人気力士であり、敢闘賞4回、殊勲賞4回、技能賞3回を獲得しました。

しかし、1988年9月場所に以前から痛めていた左ひざを再度負傷してしまい、秋場所の途中、35歳で引退されました。(通算成績:773勝792敗34九)

その後、年寄・北陣を襲名し、現役引退後はNHKのテレビ中継や「サンデースポーツ」の解説を担当され、分かりやすい説明で視聴者から親しまれていましたが、2015年5月場所を最後に、病気のため出演されませんでした。

そして、2018年3月8日に停年(定年)を迎え、再雇用制度は利用せずに日本相撲協会を退職されました。

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元関脇麒麟児・垂澤和春さんの嫁や子供の存在は?

元関脇麒麟児・垂澤和春さんの奥さまについては、名前や顔画像などの情報はありませんでしたが、垂澤和春さんには、ニコニコ動画などの事業で知られるIT関連企業「株式会社ドワンゴ」に勤務する息子・垂澤和成さんがいらっしゃることが分かっています。

垂澤和成さんは、相撲の経験はほとんどなかったそうなのですが、IT関連企業からドワンゴに転職し、「相撲に詳しいから」という理由で大相撲中継の担当になったそうです。

ニコニコ動画では、2011年5月に行われた技量審査場所のすべての取組を生放送していたのですが、この時も垂澤和成さんが動画配信を担当されていました。

また、垂澤和成さんの奥さまの祖先には、第7代横綱・稲妻雷五郎さんがいらっしゃるということで、「どうも相撲とは不思議な“縁”があるようです」と話されていました。

元関脇麒麟児・垂澤和春さんの現在の顔画像は?

元関脇麒麟児・垂澤和春さんは、インスタグラムやツイッターなどのSNSアカウントを持っておらず、日本相撲協会退職後に表舞台に出てきているという情報もないため、現在の顔画像を見つけることはできませんでした。

ネットの声

  • 御冥福をお祈りいたします。

  • やはり相撲取りの身体は長生きするように出来ていないんだな。

  • TVでの解説も明快で、国技館入口でも丁寧なご案内をされていました。

  • ニッパチの一角が、また・・・

  • だから三月場所に富士桜との一戦を放送したのか。

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最後に

3月1日に亡くなった大相撲の元関脇麒麟児・垂澤和春さんについて書かせていただきました。

垂澤和春さんのご冥福をお祈りいたします。