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悲しいニュースが飛び込んできました。

マッスルミュージカルの生みの親として知られる中村龍史さんが68歳でお亡くなりになられました。そんな中村龍史さんとはどのような人物だったのでしょうか?

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中村龍史 プロフィール

プロフィール

名前:中村龍史(なかむら りょうじ)

生年月日:1951年3月25日

享年:68歳

出身地:東京都

所属:吉本興業

 

経歴は?

中村さんは中学生の時に洋画「グレートレース」を見て、主演のジャックレモンに憧れ役者を目指します。高校卒業後に劇団四季俳優養成所を卒業し劇団四季に所属します。

その後、念願の俳優として数々の映画に出演しますが、どれも主演急の役柄ではなく中途半端な二枚目の役ばかりだったと言います。これに嫌気がさし1981年に俳優業を休止するため劇団四季を退団します。その後は振り付けや演出家として手腕を発揮します。あの松任谷由美さんのコンサートまで手掛けており一躍有名演出家としてその名が知れ渡ります。

2001年には筋肉で演奏する「マッスルミュージカル」の構成や振り付けを担当し、日本だけにとどまらずラスベガスでも公演を成功させています。

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死因は?

中村龍史さんの訃報について各メディアでも取り上げていますが死因については明らかになっていません。

しかし、中村さんは以前からある病気を患っており長い間闘病生活をしていた事が明らかになっています。その病気は多発性嚢胞腎(ADPKD)でした。

多発性嚢胞腎と聞いてもピンとこないので調べてみました。

両方の腎臓にできた多発性の嚢胞が徐々に大きくなり、進行性に腎機能が低下する、最も頻度の高い遺伝性腎疾患です。

尿細管の太さ(径)を調節するPKD遺伝子の異常が原因で起こります。多くは成人になってから発症し、70歳までに約半数が透析を必要とします。高血圧、肝嚢胞、脳動脈瘤など、全身の合併症もあり、その精査を行うことも大切です。

出典元:http://www.twmu.ac.jp

上記で分かる通りこの病気は遺伝性である事が分かります。それが原因かは分かりませんが中村龍史さんの父親も同じ多発性嚢胞腎を患っており中村さんが29歳の時にお亡くなりになられていました。。。

中村さん自身も25歳の時に多発性嚢胞腎と診断されており当時はものすごくショックだったと言います。その後は1年に1回のペースで病院に通院していましたが、46歳で腹膜透析を開始し、59歳の時には血液透析を始めていました。血液透析になると週3回のペースで1回4時間もの治療を受けなくてはいけないことから、仕事と闘病の両立は非常に困難だったことでしょう。

中村さんの場合46歳から透析を開始し約22年間もの間透析をしていたと考えると仕事をする上で足かせになったに違いありません。

しかし、亡くなる直前まで演出家であった中村さんはの生き様は数多くの方の心に響いたことでしょう。

嫁や子供は?

中村龍史さんの家族に関して嫁や子供はいたのでしょうか?

残念ながら家族に関しての情報はありませんでしたが、病気で闘病中に献身的に支えたのが妻であったと言っていました。

病気のために食事にも細心の注意を払い味付けなどは薄味で作られていたのだそうです。

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最後に

中村龍史さんの訃報について書かせていただきました。

最後まで演出家であり俳優であった中村龍史さん。中村さんの作品は人々の心の中で生き続けることでしょう。

天国ではゆっくりと休んでいただきたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。