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悲しいニュースが飛び込んできました。。。
演出家として知られる宮沢章夫さんがお亡くなりになられました。
まだ65歳というお若さでこの世を去ってしまった宮沢さんとは一体どのような人物だったのでしょうか?
宮沢章夫さんの死因や病気、入院の噂、経歴や顔画像などについても調べていきたいお思います。
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宮沢章夫さん死去で死因は?
【ご報告①】かねてより入院療養中だった宮沢章夫が、9月12日、うっ血性心不全のため都内の病院で永眠いたしました。65歳でした。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。→ pic.twitter.com/6uczMIM0BO
— 遊園地再生事業団 (@u_ench) September 20, 2022
宮沢章夫さんの訃報は9月20日の午後17時前後に突如報道されました。
一番最初に報じたのは宮沢さんが結成した「遊園地再生事業団」の公式twitterからでした。
これまで重病説など聞いたことがなかったこともあり、宮沢さんの死は世間の注目を集め続けています。
そんな中、一番注目されているのはその死因です。
遊園地再生事業団のtwitterも公表しておりましたが、死因は「うっ血心不全」とのことでした。
このうっ血生心不全とは以下のような症状であると言われています。
うっ血性心不全とは、心臓のポンプ機能が弱まり、充分な量の血液を全身に送れなくなって、血液の滞留(うっ血)が起こってしまった状態です。 このため呼吸困難や倦怠感、むくみなどが生じます。 悪化すると命にかかわります。 超高齢化社会を迎え、うっ血性心不全の患者さんは、急激に増加すると予想されています。
引用元:https://newheart.jp/glossary/detail/cardiovascular_medicine_011.php
予後は不良であると言われており、心不全と診断されてから半年で半数以上の方がお亡くなりになるという統計も出ており、深刻な状態であったことは言うまでもありません。。。
宮沢章夫さん 病気で入院していた?
宮沢さんに関しては調べてみると「宮沢章夫 病気」「宮沢章夫 入院」というサジェスとキーワードが浮上しています。
実はこれこそ、宮沢さんが持病を持っていたことを意味するワードでした。
なんと宮沢さん自身が2008年に心臓のバイパス手術を受けていたことが判明したのです。
心臓の医師から入院したほうがいいと言われた。いまは無理だなあ、ただ、ほっとくと死ぬんだよな。このところ息切れがひどかったがやっぱり心臓のせいだった。仕事の気力も出てこないのはこれかあ。
— 宮沢章夫(笑ってもピンチ) (@aki_u_ench) June 20, 2022
心臓が悪く心不全になるという可能性は十分に考えられますし、そして何より、近年は体調が思わしくなく「入院」をしていたことも明らかになっています。
そして一番衝撃なのが、宮沢さん自身のtwitterの最後の更新でした。
それにしても眠い。さよなら。宮沢章夫
— 宮沢章夫(笑ってもピンチ) (@aki_u_ench) August 20, 2022
「さよなら。宮沢章夫」とまさかの自身の死期を悟ったツイートをされていたのです。
これは予測ですが、意識がはっきりしているものの、「自分の体は自分がよくわかる」という言葉もあることから体調や体力を踏まえ体の限界を感じていたのではないでしょうか。
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宮沢章夫さん 結婚した嫁や子供の存在は?
結果的に言いますと、宮沢さん自身は結婚されており、既婚者です。
喪主が妻の千景さんであることも公表されているので間違いはありません。
一方で家族構成など子供の存在に関しては一切明かされていないことから、プライベートなどに関する情報も皆無に等しいと言えるでしょう。
宮沢章夫さん プロフィールや経歴
最後に宮沢さんのプロフィールや経歴を確認したいと思います。
宮沢章夫 プロフィール
- 名前:宮沢章夫(みやざわあきお)
- 生年月日:1956年12月9日
- 享年:65歳
- 出身地:静岡県掛川市
- 職業:劇作家、演出家、作家、早稲田大学文芸学術院教授
宮沢章夫さん 経歴
宮沢さんの原点は大学生時代にありました。
この時から映像演出研究会で8ミリ映画の制作をしており、映像というものに携わっておりました。
残念ながら大学は中退しましたが、24歳になってから執筆活動を開始し、「大竹まことさん」「きたろうさん」「斉木しげるさん」「いとうせいこうさん「竹中直人さん」「中村ゆうじさん」達でパフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリンバ・システム」を結成し活動を開始。
その後は一度全ての仕事を全部やめて、マダガスカルに長期位滞在をします。
帰国後は遊園地再生事業団を立ち上げ、小説家として執筆活動に専念し数々の賞を受賞し、日本の作家として知名度は高く、メディアにも度々出演されておりました。
ネットの声
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宮沢章夫さんのエッセイが、どうでもいいことを深く考えてみるおもしろさを教えてくれた
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サブカルといえばこの人のイメージだったな。3回目のブースター接種後、体調が一気に悪化し、最後のツイートが「さよなら」。日本政府による犠牲者がまた一人増えた。
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ありがとうございます。宮沢章夫さんが死去されたそうでショックで。大好きでした
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宮沢章夫作品は、書店で偶然「わからなくなってきました」を見かけて、ヘンテコでおもしろそうだから買ったのでした。想像を絶するヘンテコさでそりゃもう笑ったもんです。最高でした。 それからよく読んでました。舞台も見たかったな。
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大学時代、文芸同好会にいた頃、「笑える文章とは何ぞや?」というのを自分なりに勉強していて、その頃に影響を受けた作家が、えのきどいちろう、中島らも、原田宗典、さくらももこ、そして宮沢章夫だった。のちに読み物中心の個人HPを立ち上げたときに、文体のお手本にしたのも、この人たちだった。
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最後に
世間に多くの影響力とユーモアを与え続けていた宮沢さん。
いつまでも数多くのファンの心の中で語り継がれることでしょう。
宮沢章夫さんおご冥福を心よりお祈りいたします。