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1998年10月、2000年3月と立て続けに起きた広島連続保険金殺人事件。

その犯人の息子である大山寛人さんは母と祖父を殺され、父のアリバイ工作に利用されるという悲惨極まる目に遭っています。

事件当時はまだ小学生だったので、どれだけ辛かったかは皆さんも想像がつくでしょう。

犯人の逮捕から数年経ち、成長した現在は事件について語ったり、当時の様子を著書にまとめたりしています。

今回は大山寛人さんの現在の顔画像に加え、母親の名前や仕事についても紹介します。

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大山寛人のプロフィールや経歴を紹介!

まずは大山寛人さんのプロフィールから見ていきましょう。

Check!

・名前:大山寛人(おおやま ひろと)

・生年月日:1988年

・出身地:広島県

・著書:『僕の父は母を殺した』

事件後は「人殺しの息子」と呼ばれ、世間からつまはじきにされた挙句非行に走り、ホームレスとなって自殺未遂を繰り返してきました。

 

大人になっても周囲からの扱いは変わらず、せっかく就いた仕事も密告により辞めさせられてしまいます。

そんな時に手を差し伸べてくれたのが風俗店の社長でした。現在、大山寛人さんはそこで従業員として働いているそうです。

夜間の仕事なら差別されず、「自分が悪い事した訳じゃないんでしょ?自分の方がもっと悪いことしてるから」とフォローしてくれる人が多いとも語っています。

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大山寛人に家族はいる?背中の刺青は何のために入れた?

結論から申し上げますと、大山寛人さんに家族はおらず、現在も独身です。

憧れ自体はあったものの、将来妻や子供が汚名を着せられる事に耐えられなかったので、家族はいない方がいいという結論に至りました。

大山寛人さんはインタビューや講演会で表舞台に立つ機会が多いので、この辺から情報がリークされかねないという危険も抱いていたと思います。

背中の刺青もそのために入れたそうで、今後も家族を持つ事はまずないでしょう。

その代わりに黒猫を飼っており、Twitterでその姿が拝めます。

大山寛人の母親は何という名前?仕事は何をしていた?

大山寛人さんの母親は「博美」という名前で、享年38歳でした。何の仕事をしていたかは明らかにされていません。

父の清隆容疑者が借金の返済方法を巡って叔父(大山寛人さんの祖父)を殺害した後、急に入ってきた死亡保険金が原因で親戚中に問い詰められ、博美さんも違和感を覚え始めます。

そして2000年3月1日深夜、追い詰められた清隆容疑者は博美さんに睡眠薬入りの飲み物を飲ませた後、浴槽に沈めて殺害しました。

大山寛人さんには「お母さんは酒に酔って寝ている」とごまかし、博美さんの遺体を始末すべく広島市南区の宇品港に2人で出かけます。

清隆容疑者は息子に気付かれないように博美さんの遺体を海に投げ捨て、あくまでも事故だと装いながら救助を要請する事で更なる死亡保険金を確保しました。

ところが2002年1月に広島市内のガソリンスタンドからガソリンを騙し取った罪で逮捕され、更に2人の殺害及び死体遺棄がバレて再逮捕となります。

清隆容疑者は2011年6月7日に最高裁判決で死刑が確定し、現在は広島拘置所に収監されています。

大山寛人さんは殺害当時に寝ていて異変に気付けなかったようで、母親を救えなかった事に強い後悔を抱いています。

更にそのアリバイ作りに加担させられたので、筆舌にしがたい悔しさに絶えず苦しめられている事でしょう。

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大山寛人に心境の変化?父親を憎む気持ちが薄れ出した

こんな経緯もあって大山寛人さんは父親を非常に憎んでおり、一時はこの手で殺してやりたいとまで考えていました。

しかし逮捕から3年後の2005年、死刑判決をきっかけに清隆容疑者との面会を果たし、そこから考え方が変わっていきます。

また父親の手記を目にしたのがきっかけで、犯行に至った理由やその時の苦しみを理解するようになりました。

この手記は大山寛人さんの公式Twitterで公開されており、いつでも読む事が可能です。

その後、大山寛人さんは『僕の父は母を殺した』という本を2013年6月に出版しました。

現在も自身の生い立ちや経験を踏まえ、死刑制度のあり方についても見直そうと、公演やメディア出演を通じて積極的に活動しています。

その根底には加害者・被害者に関係なく、どちらの家族も自分のような思いをせずに済む社会を作りたいという考えがあるようです。

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最後に

大山寛人さんの現在の顔画像に加え、母親の名前や仕事についても紹介しました。

母親は博美さんと言い、祖父の殺害後に入ってきた死亡保険金が原因で清隆容疑者に殺されてしまいました。

大山寛人さんは母親を殺され、事件のアリバイ作りに協力させられた事から父親を憎んでいましたが、逮捕から数年後の面会がきっかけで憎しみは薄れていったようです。

現在、大山寛人さんは自分の生い立ちを明かすと同時に、死刑制度のあり方についても見直そうと積極的に活動しています。

これ以上、加害者や被害者の家族が悲惨な目に遭わないよう、その活動が報われる事を願います。