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悲しいニュースが飛び込んできました。

元競馬騎手の嶋田功さんが74歳でお亡くなりになられれました。

19日の午前中に都内の自宅で亡くなっていた事が発見されましたが、それが自殺と公表されており話題になっています。

そんな嶋田さんの追悼の意を込めて過去の経歴や人物像などについて見ていきましょう。

嶋田功さんの訃報

嶋田功さんの訃報は19日の夕方に突如報道され、注目が集まっています。各メディアでも同様に嶋田功さんの訃報について取り上げています。

競馬のひん馬のG1、オークスを5勝するなど活躍した元騎手の嶋田功さんが亡くなりました。74歳でした。関係者によりますと自殺とみられるということです。亡くなったのは競馬の騎手や調教師として活躍した嶋田功さんです。関係者によりますと、19日午前、東京 港区で亡くなっているのが見つかり現場の状況から自殺とみられるということです。74歳でした。嶋田さんは、北海道出身でひん馬のGIレース「オークス」で通算5勝を挙げるなど、「オークス男」と呼ばれ、騎手として951勝を挙げました。引退したあとも調教師として数々の馬を育て、JRAの優秀調教師賞を2度受賞していました。

出典元:NHK

輝かしい過去をもつ嶋田さんの心には何か人に言えない悩みでもあったのでしょうか?

嶋田功 プロフィール

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  • 名前:嶋田功(しまだ いさお)
  • 生年月日:1945年11月8日
  • 享年:74歳
  • 出身地:北海道三石郡三石町
  • 職業:元競馬騎手、調教師

経歴は?

嶋田さんは実家が競走馬を育てる「嶋田牧場」であったため、物心ついた時には馬と戯れる生活を送っていました。

そして馬には3歳の時から跨っていたと言うので驚きです!

中学校を卒業した嶋田さんは上京し馬事広苑騎手養成長期課程に入所し、卒業後は稲葉幸夫厩舎へ入門します。そして翌年1964年3月1日に騎手免許を取得しデビューを果たします。

現役当時は落馬事故により一時意識不明の重体になった嶋田さんでしたが、4ヶ月半後には見事に復帰して第一次競馬ブームの火付け役となったアイドルホースの「ハイセイコー」を破って優勝してしまうという実力を持っていました。

その後も「雄馬の嶋田」と言う異名を持つほどに数々の大会を制してきた嶋田さんは通算1000勝確実と言われていましたが、度重なる落馬で惜しくも1000勝に届きませんでした。

1988年に体力の限界を感じ引退を決意し、その後は調教師として競馬会を裏で差支えてきた人物でした。

死因は自殺!

嶋田さんの死因については自殺と公表されました。

詳細については明らかにされていませんが、病を患っていたと言う情報などは一切なかったことから、自殺の詳細についても不明です。

噂ではコロナでの資金不足?とも言われているようですが、あくまでも噂レベルですので噂が一人歩きしないよう注意です。

嫁や子供は?

嶋田さんのハイセイコーに勝利した大会には息子さんと妻の姿があったと言う情報があります。

このことから既婚者で息子さんがいることは間違いないようですが、一般人であるため名前や顔画像といった情報はありません。

ネットの声

  • 牝馬の嶋田を買っていたな(笑)ダービーであのハイセイコーを破ったのも、タケホープ鞍上の嶋田だったな。ご冥福をお祈り致します。

  • 現役時代は生まれてないので当然知らないが牝馬の嶋田は聞いたことがある。 オークス5勝って凄い…

  • 嶋田功元調教師が・・・競馬見始めた頃にはもちろんジョッキー引退されてたけど、過去映像でタケホープのダービーとかは観てるもんなぁ

  • 世代ではないけど 父が競馬実況するかのように熱く語っていたのを 覚えていますよ…

  • ダービーでハイセイコーを破った騎手ですね。最近自殺がすごく多いのが気がかりです。

最後に

訃報が報じられた嶋田功さんの過去の経歴などについて書かせていただきました。

華々しい過去の裏で何なら悩みがあったのかもしれません。そして最近、数々の有名人がの方が自ら命を絶っている事が非常に残念でなりません。もう少し周りが何かできた事があったのかもしれません。。。

嶋田功さんのご冥福をお祈りいたします。