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こんばんわ。コメ太郎です!悲しいニュースが入ってきました。

伝説の名投手、金田正一さんがお亡くなりになりました。

訃報に際し、プロ野球界のみならず、角界の著名人がお悔やみ申し上げています。

しかし、若い方にとっては、金田正一さんがどのくらいすごかったか、いまいちわからないようです。

そこで、金田正一さんとはどのような方だったのか調べました。

金田正一さん亡くなる

10月6日午前4時38分、元プロ野球選手の金田正一さんが亡くなられました。

訃報は、巨人軍から発表されました。

プロ野球唯一の通算400勝投手で元ロッテ監督の金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で亡くなった。86歳だった。通夜、告別式は近親者のみで行われる。

喪主は長男賢一(けんいち)さん。後日「お別れの会」を行う予定。愛知県出身の金田氏は、享栄商高を中退して50年に国鉄(現ヤクルト)に入団。65年に巨人に移籍し、前人未到の400勝を達成し69年引退。引退後はロッテ監督を務め、74年に日本シリーズを制した。

引用元:日刊スポーツ

金田正一さんはプロ野球歴代最多勝投手です。その数は400勝で、おそらく今後も塗り替えるのが不可能な数字です。

多くの方が、メッセージを寄せています。

巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督。

巨人長嶋茂雄終身名誉監督(83)が7日、球団を通じ、6日に亡くなった金田正一氏への追悼コメントを発表した。

「突然の訃報に言葉を失った。ショックが大き過ぎる。元気の塊のようだった人にも、こういう結末があったのか。混乱する頭の中で、真っ先に浮かんできたのは、デビュー戦の4打席4三振のことだった。私はこの時、『プロで戦い抜いてやるぞ』と強く思った。金田さんのような投手は、これから出てくるだろうか。400勝投手は永遠ではないか、と思っている。心からご冥福をお祈りします」

ソフトバンクの王貞治球団会長。

金田正一氏の訃報を受け、ソフトバンク王貞治球団会長が故人を悼んだ。

王会長は「巨人に入って初めて金田さんと対戦した時は、別格以上の、それこそ大別格な投手だと感じました。その後金田さんが巨人に入団してからは、野球に関して大変色々な形で指導していただきました。私にとって金田さんは大切な恩人の一人です。謹んでご冥福をお祈りします」とコメントした。

巨人軍の原辰徳監督。

巨人原辰徳監督(61)が7日、金田正一氏の訃報を受け、東京ドームでの全体練習前に故人を悼んだ。

「びっくりしました。6月、7月ぐらいに軽い脳梗塞をしたんだと(聞き)、その後に食事をしたりもしてですね。電話で話したりもしていたんですが、考えてみたらここ1カ月ぐらい連絡を取り合ってなかった。いきなりの訃報に(長男)賢一さんから連絡があったんですけど、びっくりしてですね、やっぱり金田さんでもお亡くなりになるんだなと、僕から見ると鉄人であり、野球の教科書というか。特に金田さんの野球に取り組んでいる姿勢、生き様、戦い様というのは、監督やる上にですね、大変影響を受けた私の先生の1人でありました。ただただびっくりしていると同時に、もう少しいろいろお話をお聞きしたり、学ぶことができたのではないかなと、それも自分の中で今思っている次第です」。

多くのプロ野球関係者から慕われていたようです。

金田正一さんのプロフィール

本名 金田正一(かねだ しょういち)
出身地 愛知県中島郡平和村(現:稲沢市)
生年月日 1933年8月1日
没年月日 2019年10月6日(86歳没)
身長 184cm
体重  73kg
投手通算成績 400勝298敗 4490奪三振

実は、金田正一さんは在日韓国人2世で、韓国名は「金慶弘(キム・ギョンホン)」といいます。なお、金田正一さんは日本国籍を取得し、帰化しています。

昭和25年に17歳で高校を中退して、国鉄スワローズ(現・ヤクルトスワローズ)に入団、当時はドラフト制度はなく、球団が直接選手を入団させていました。

昭和26年9月5日にノーヒットノーランを達成、18歳35日での達成は、史上最年少記録になります。

昭和32年には完全試合も達成しています。

昭和40年に巨人に移籍して、昭和44年に引退。

その後、昭和48年から昭和53年までと、平成2年から平成3年までロッテの監督を務めました。

また、背番号34は巨人の永久欠番になっています。

前人未到、史上唯一の400勝投手

金田正一さんといえば、その通算勝利数を語らないわけにはいきません。

その数、実に400勝!

金田正一さんの現役期間は20年間だったので、毎年平均して20勝を挙げていたことになります。

今のプロ野球で20勝投手が出るのは数年に一度です。

金田正一さんは多い年では30勝以上していました。

今の投手は、「先発」「中継ぎ」「抑え」と分業するのが普通で、先発も1週間に1回という感じです。

しかし、当時は違います。

先発投手は球数で交代することは無く、勝っている限り完投させるのが基本で、負けているか大差をつけてリードでもしない限り、交代はありませんでした。

2013年日本シリーズ第7戦での楽天・田中将大投手のように、先発しても次の日にリリーフをするというのは日常茶飯事でした。

先発の試合間隔も短く、年間100試合しかない時代に44試合で先発して、25試合で完投した年もありました。(昭和26年シーズン)

今では、考えられないくらい投げていました。

その結果が400勝という数字です。ちなみに、298敗という数字も歴代最多になります。

他にも、通算奪三振4490、通算与四球1808、通算投球回数5526.1、通算完投数365と言った記録が、歴代最多記録となっています。

今のプロ野球では、球数の問題もあってこのような記録を更新するのは、ほぼ不可能と言っていいでしょう。

また、当時はスピードガンがなく球速は不明ですが、ご本人は180km/hは出ていたと言っています。

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実は打者としてもすごい

セ・リーグでは、投手も打撃をしますが、正直あまりうまくありません。

パ・リーグではDHがあるため、投手が打撃をすることはありません。例外は、大谷翔平だけでした。

実は、金田正一さんは投手での通算最多本塁打記録を持っています。

大谷翔平も打撃はスゴイですが、DHでの出場もあり、純粋に投手として出場した試合での本塁打記録は金田正一さんが持っています。

その数は36本。他に代打で2本打っています。

初本塁打は17歳の時で、史上最年少記録になっています。

長嶋茂雄との伝説の対決

金田正一さんの伝説として語られているのは、長嶋茂雄さんのデビュー戦です。

昭和33年に長嶋茂雄さんは巨人軍に入団するのですが、デビュー前からスーパースターでした。

長嶋茂雄さんのデビュー戦、相手は国鉄スワローズで、先発は金田正一さん。

結果は、長嶋茂雄さんの4打数4三振。

長嶋茂雄さんは全く打つことが出来ませんでした。

しかし、長嶋茂雄さんはその後は力をつけ、金田正一さんから一番本塁打を打った打者となりました。

名球会を創設

プロ野球には名球会というものがあります。

名球会は次の条件を満たした選手だけが入ることが出来ます。

・昭和以降の生まれ

・打者なら日米通算2000安打位以上

・投手なら日米通算200勝以上、もしくは250セーブ以上

素晴らしい成績を残した選手しか入会できないのですが、これを作ったのが金田正一さんです。

金田正一さんは昭和53年の創立から平成21年まで代表を務めていました。

プロ野球選手にとっては、この名球会に入るのがひとつの目標になっています。

ただ、金田正一さんは代表を辞める際に、名球会から退会しました。

金田正一さんのご冥福をお祈りいたします。

現在でも、プロ野球では数多くの名投手がいますが、金田正一さんの打ち立てた数々の記録や伝説は、未来永劫語り継がれていくことでしょう。

金田正一さんのご冥福をお祈りいたします。

最後まで閲覧していただきありがとうございました。